プロフィール

プロフィール詳細

幼少時代

子供の頃は、魔法ごっこが大好きでした。

もうひとりの自分と対話したり、それがとても楽しかったので人と話さないことや、

その楽しさを理解してもらえずに両親をはじめ変わり者の子供で通っていた。
よく怖い夢を見たり不思議なものを見たり、夢遊病のようだったと聞かされた。
強烈に覚えていることは、笛の音が聞こえてくると、決まって恐怖に襲われて家中を駆け巡っていたり、またある時は、近所の家の屋根のあたりに火の玉のようなものがふわふわ飛んでいるように見えたので、母親に言うと、すごくおびえた顔になっていた。
それ以来、もう言わないようにしていた。
次の朝、そこの家の おじいさんのお葬式が行なわれていて、益々母親が変な顔をして私を見ていたのを覚えている。
その後もいろいろな出来事があったが、封印してしまおうと思ったのだ。
それでも、怖い夢を見ておびえて起きる時が度々あった。
ある日、病院に行ったことも記憶にある。そして何らかの病名をつけられたことも。
ひと りで遊ぶのが好きだったので学校にはあまりなじめず、時々ずる休みしていた。
小学校高学年の頃、仲のよい友達が通っていた劇団に入ることになった。
演劇や歌、ダンスは学校よりとても楽しかったが、高校受験になると、親に反対され断念する。 

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青春時代

思春期の頃、原宿でスカウトされたのをきっかけに、またテレビや雑誌のちょっとした仕事をすることになり、その後また劇団青年部に入る。
演劇の稽古をし舞台などに出演。学校が終わると、そのまま都心に出かけることが多くなり、学校の授業についていけなくなる。
公務員の父に強く反対され反抗する。

早く大人になって自由になりたかった。子供は楽しんではいけないのかと疑問に思った。その後、家出したり、朝帰りしたり、不良になっていく。
それがトラウマ になる。

進学し、食や健康についての知識を学ぶ。
栄養士をはじめ食に関する資格を色々取得する。
仲のよかった両親だったが、母親が急に家を出て行ってしまいショッ クを受ける。その後父はうつ病になる。
家を出て自立する。
OLを2年ほど経験した後フリーターになる。
当時はバブル全盛期二ので、仕事はいくらでもあり、喫茶店、飲食店、歯科助手、病院の事務、雑貨屋、アパレル、居酒屋、バー、外車の販売、モーターショーやパーティのコンパニオン、ホテルのラウンジ、 バニーガール、銀座のホステスなどどんな仕事でも楽しむ。

 

その後、ロッキード事件の最中、ひょんなことから日本の政財界トップO氏の仕事に就く。
それは当時、考えられ ないほどの高給だったため、華やかな生活を送り、外車に乗り、

夕食はほとんど都内の一流ホテルという信じられない世界に生きる。

1巻6万円のマグロの味は今でも覚えている。

当然のことながらグルメの道まっしぐらになり、その後体調を崩しながら仕事をする。 

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ヨガ、瞑想、菜食主義…自分の内面と向き合う

そんなある日、6台の玉突き事故を起こし、それまでの生活と人間関係がリセットされ人生が逆転していく。
上がったり落ちたり不安と恐怖が襲いかかってくる 中、「生と死」についてや、自分は一体なにものなのか? 自分は一体何をしにここに来たのか?
この頃、今まで外側の世界に探し求めていたものがすべて崩れさり、向きを変え、自身自身の内面に興味を持ち始める。

平凡でシンプルな生活の心地よさを感じ、再び就職活動をし、大手アパレル会社に就職が決まる。また仕事に明け暮れ、約1年後、2店舗の店長をまかされるこ とになる。波に乗っているようだったが、ストレスでまた体調を壊し5年で退職する。
本当の自分らしく生きていくための強烈な渇きが生じ、内面の世界の探求が始まる。
ヨガと瞑想をはじめ、菜食主義になる。 

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インド・プネーの神秘家OSHO瞑想アシュラムに出会う

インドからバスで何日もかけてネパールのヒマラヤを目にしたとき大きな気づきを得る。

 

インド聖地ベナレスのガンジス川では、 生と死について、輪廻転生についてあまりにもあからさまで、ありのままの光景と愛と祈りがそこにあり、今まで味わったことのない安堵感と至福に包まれながら瞑想し数ヶ月過ごす。

 

インドの神秘家OSHO瞑想アシュラム(現在OSHOメディテーションリゾート)を訪れ、条件づけやトラウマを開放するセラピーや瞑想を学ぶ。

 

数ヶ月たったある日、ブッダホールという瞑想ホールで瞑想していると、急に場面が変わりワープする。古代の仲間たちと洞穴の中でキャンドルを灯し瞑想して いる自分の姿や蓮の花に浮かんでいる自分の姿がそこにあった。

 

再びなんともいえない至福感が押し寄せてきて本当の自分と繋がる。。

質素でシンプルに生活するインド人や愛、瞑想、祈り、暮らしをこよなく愛し、タイやインド、ネパールの旅にハマり、気がつけば3年という歳月の旅を繰り返すことになる。

 

帰国後、東京世田谷区の行きつけの店を引き継ぐことになる。
翌年2店舗目のエスニック料理とライブのお店をオープンし、カリスマ・ママとなる。
場所柄、芸能人や有名人も数多く訪れ、多くのお客様の人生を垣間見る機会が与えられる。

 

このころから「自分はつくづく人が好き」だということを実感する。
11歳年下の彼とひょんな事から結婚に至る。

 

出産を人生のエンターテインメントにしたくて、高齢出産ギリギリだったにもかかわらず、

始めから自然分娩と決めていたし、体力には自信があったので自然分娩を決意する。

世田谷区のアクアバースハウスという素敵なおうちでの憧れの自然分娩。

体力をつけるために毎日3キロから5キロ歩き、身体に良いものを取り入れて

無事に長女を水中出産。

この出産もこれまで生きてきたなかで計り知れない体験だった。

スパのジャグジーのようなところで、ラベンダーの香りが漂うなかでの出産。

あまりのリラックスに陣痛もおさまってしまうほどだった。

夫がまったりミュージックDJで立ち合いながらウロウロしている間に無事女の子を出産。 

水中の中からまるで魚のポニョみたいな愛くるしい存在が、

自分のお腹から水面に泳いで出てくるんだから。。

お産て、偉大で、ワイルドで、ダイナミックで、宇宙とバッチリつながるあの感覚は言葉にならないほど気持ちいい。
そして 2年半後、同じところで自然分娩にて長男出産。

水中出産があまりにも楽すぎて、今度は陸のうえでの出産。

落ち着いた畳の部屋の布団の上での自然分娩は、水中のあの楽さとは違っていたけど

リラックスした心地よい雰囲気の中、手応えありで、やっぱりお産て気持ちよくて素晴らしい。

自分のお腹から男の子が出てくる瞬間は不思議な感覚だった。

 

 

長男出産後、昼夜逆転の生活と東京での生活に疲れてしまい違和感を感じはじめる。
店を人に任せ維持だけはしていたものの閉店することに。東京を離れ静岡県に住む。

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沖縄へ…

その半年後、数回しか訪れたことのない沖縄へなぜか導かれ移住する。

移住後、カフェをオープンする。
日本では珍しいインドの楽器演奏者で吟遊詩人の友人がライブをしたり、イベントやパーティーと盛り上がっていたが、2年半後に離婚により手放す。
しかし、不思議なことに、今の友人達のほとんどが東京や沖縄でお店をやっていた時のお客様なので、店はなくなっても人々との繋がりはそのまま繋がっていて、ありがたき幸せもの。
それが今でも人が好きな私の滋養と宝になっているのである。
離婚後、様々な経験と学びを活かすために更なる学びを深めていく。
離婚後オーラソーマの使用により、どんどん自分自身を癒してくれたボトルたちと触れ合い、ボトルの深さに魅了されコースを次々と受講し資格を取得する。
人を癒すことや様々なヒーリング法やカウンセリング能力を極めるために多くのことを次々に学びながら、様々なビジョンや不思議体験を重ね、啓示を得る。
その後自宅の1室でLotus Paradiseというサロンを開業しながらヒーリングのイベントに参加し更なる学びを深めていく。
自宅でおこなうことに限界を感じていた頃、「占いの館 那花ゆくい(なかゆくい)」にてお世話になり、「美風庭すみれ」という鑑定師名で鑑定し更に学びを深める。
この頃までに既に1000人以上の人の鑑定を経験する。

2010年12月に「占いの館 那花ゆくい(なかゆくい)」を卒業する。

再びインド、プーナにて瞑想を深め本来の自己と繋がる。

インドから戻り、夢で見た内装とまったく同じ物件を見つける。

そして2011年、ヒーリングサロンsamasati(サマサティ)を立ち上げる。

 

まだまだ書ききれない人生経験を、これからの人生に大いに生かし、人生につまずいたり悩んだりしているあなたのお役に立てれば幸いに思います。  

 

長い文章、最後までお読みいただきありがとうございました。

あなたとのご縁に感謝いたします。

 

samasati 代表

木下ますみ(ビブーティ) 拝 

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