レイキの歴史


臼井式レイキ第一期

 

◆臼井式レイキ第一期 1922~1926

<創始者・臼井甕男氏>(うすいみかお 1865~1926 岐阜県出身)

 ●1922(大正11年)3月・57歳の時に京都、鞍馬山にて断食修行中、21日目にして「一大霊氣」に触れ感応し、悟りを開く

同時に治病の霊能力(ヒーリング・パワー)を得るに至る。

●4月、東京青山原宿に移住。『臼井霊気療法学会』を創立。(現在も学会は存続)レイキのアチューンメント、レイキ療法の伝授を開始。   

その後4年間に21名の師範(現在のレイキティーチャー・マスター)を育成。(現在、そのうちの11名が判明) 1923(大正12年)  

●関東大震災発生。多くの負傷者を救済。

1925(大正14年)2月、学会の発展に伴い道場を中野に移転。  

●全国を巡行、臼井式霊気は国内を席巻する事に。

●1926(大正15年)春、師範会にて牛田氏を二代目会長に指名。  

●3月9日、広島県・福山市にて脳溢血のため急逝。(享年・62歳) 

 

 

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臼井式レイキ第二期

◆臼井式レイキ第二期

1926~1940 林忠次郎氏(はやしちゅうじろう) 1880~1940 海軍大佐)

●1925(大正14年)臼井氏よりアチューンメントを受け師範(レイキティーチャー)に。    

●海軍退役後、臼井氏の勧めにより、東京信濃町にレイキ治療所   『林霊気研究会』を設立開業。レイキ療法の効果を高める新しい技法を導入。

●1932(昭和6年)・臼井霊気療法学会を離れ、独立。    

●9年間に13名のレイキ実践者(サードプラクティショナー)、及び師範    (レイキマスター、ティーチャー)を育成。

●1940(昭和15年)5月11日、熱海にて急逝。享年62歳。

 

軍医であった林氏は臼井氏の勧めにより新しいスタイルを取り入れました。例えば臼井氏は重病人以外は座って治療していましたが、これをベッド方式に改め、マンツーマンの治療を複数による治療に変更しました。 臼井氏は頭部・腹部・脊髄を重視しましたが、林氏は東洋医学による全身の経絡を始め、ツボ、チャクラなどのエネルギーセンターも重視しました。 これらの研究成果は、現在『西洋式』と言われるレイキ療法の「基本12ポジション」やアチューンメント方式の原型になっていると思われ、現在世界中で活用されています。

 

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臼井式レイキ第三期(ハワイへ)

◆臼井式レイキ第三期(ハワイへ)1940~1980

<高田はわよさん>(たかた はわよ 1900~1980ハワイ・カウアイ島出身・日系二世)

●1935(昭和10年)胆のう障害と診断され、手術を受けるべく来日。林氏と出会う。   

●レイキ療法により、病気は8ヶ月で完治。   

●その後林霊気研究会に入門し、1年間レイキ療法を学ぶ。

●1937(昭和12年)ハワイへ帰国、現地にてレイキ・クリニックを開業。 ●1938(昭和13年)2月21日、ハワイにて林氏より師範認定を受ける。 ●1945(昭和20年)日本国内では関東大空襲によってレイキ関係者が多数死亡。ほとんどの関連資料が焼け去り、さらには第二次世界大戦の敗戦を期に、レイキは自然消滅的に姿を潜め、ほとんどの人の知るところのないものに。 1975(昭和50年頃)  

●高田さんがハワイで本格的に師範(レイキティーチャー)の養成を開始。22名のレイキティーチャーを育成。

●1980(昭和55年)12月11日、ハワイにて死逝。享年80歳。

 

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高田さんの存在がなければ、レイキ療法は現在こんなにも欧米各国で普及することにはならなかったでしょう。 ただ、『宇宙即我、我即宇宙』『安心立命』という仏教圏的な思想はキリスト教文化圏の人々には理解が難しく、臼井氏が目指した精神性向上へのメソッドという色合いは失せていきました。 一方、東洋的な治療技術としてのレイキの効果は大きくアップされ、評価を受けました。

 

 

臼井式レイキ第四期(ハワイから欧米へ、世界へ)

 

◆臼井式レイキ第四期(ハワイから欧米へ、世界へ) 

1981~ 1981(昭和56年)高田さんが養成した22人のレイキティーチャー達のうち21名が集結。高田さんの孫であるフィリス・レイ・フルモトさんを中心にレイキ・アライアンスを設立。(現在、海外での主たるレイキ団体としてハワイに存続)

1982(昭和57年) 

・残る一人のレイキティーチャーバーバラ・ウィーバー・レイさん(文化人類学者)はアメリカン・インターナショナル・レイキ・アソシエイションを設立。(現在の、ラディアンス・テクニーク)

 

この2団体の功績により、結果的に『西洋式のレイキ療法』は、世界的な知名度を持つまでに劇的発展を遂げます。 特に治療技術としてのレイキ療法には工夫と改良が加えられ、現代医学との提携が行なわれたり、ボディワークに取り入れられるまでになりました。

 

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臼井式レイキ第五期(西洋式レイキが再び日本へ)

●臼井式レイキ第五期(西洋式レイキが再び日本へ)

1987~1987(昭和62年)11月、ラディアンス・テクニークのバーバラ・レイさんによる著書を、ニューヨーク在住のジャーナリストである三井三重子さんが日本語に翻訳、出版。

●1993(平成5年)フランク・アジャバ・ペッター氏(ドイツ人)と小林真美さんが日本国内でレイキティーチャー養成を開始。 こうして国内では海外で発展した各種の流れを汲む『西洋式レイキ(一般的に「レイキ」「ウスイ・レイキ」と呼ばれるもの)』が逆輸入され、カタカタ文字の「レイキ」として普及し始める事となりました。

 

現在、全世界には800万人以上のレイキプラクティショナー、および  レイキティーチャーが存在します。特に欧米では、レイキ療法は認知度も高く、大学や医療の現場でも活用されています。

 

英国では医師との提携のもとレイキ療法に健康保険が適用されたり、米国では医療系の大学にてレイキ療法の授業が行なわれるなど、今や海外にてレイキは市民権を得つつあるのです。 また、各国にレイキ協会が設立される動きも見られ、欧米にはレイキ・クリニックも多数存在します。 尚、日本国内には15万人のレイキ・プラクティショナーが存在すると言われています。 (もちろん、日本伝統式のレイキも『臼井霊気療法学会』他、僅かな団体により、連綿と継承されております。

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